7月下旬〜8月22日

自分自身、ダートトライアルに参戦し、ダート耐久レースへの参戦を計画したこともあり、さらに上級のグラベル系競技として、以前からラリーには強い興味を持っていた。 モータースポーツと一言にいっても、Formula 1Super GTに代表されるサーキットレースから、ジムカーナやサーキットトライアル等のターマック系タイムトライアル競技、ダートトライアルに代表されるグラベル系競技と様々なものがあるが、その中において、クローズドコースあり、公道あり、グラベルターマックもある、いわば何でもありな競技にラリーという物がある。 これまで、NATSの学生メカニック募集は、ルマン24時間やスーパーGTといったサーキットレースのピットクルーに限定されていたが、今回始めてラリーというグラベル系の競技、それもラリージャパンのメカニックが募集されたが、当然迷わずに応募した。


FIA(Fédération Internationale de l'Automobile)が独立した委員会を設け統括する、世界最高峰とされるモータスポーツシリーズとして、Formula 1World Rally Championshipの2つのシリーズが毎年開催されている。 トヨタやホンダ、日産といった世界有数の自動車メーカーを有する日本においても、富士スピードウェイ鈴鹿サーキットにおいてF1日本グランプリが毎年開催され、マニュファクチャラーとしてはホンダとトヨタが、ドライバーとしても何人かの日本人が活躍していることは広く一般に知られている。
ではWRCはというと、スバル、三菱、トヨタ、日産、マツダ(ダイハツも入れておっけー??+まもなくスズキも)が参戦し、F1以上に多くの日本車が活躍し、また多くの日本人ドライバー/コドライバー/チームが様々な形で挑戦を繰り返してきた。 しかし国内での開催は、道路事情や、地元住民、自治体、警察組織の協力が得られない等の理由から、WRCはおろか国際格式のラリーは一切開催されない状況が長く続いていた。 しかし2001年に状況は大きく変わる。 現在のラリージャパンの前身となる”ラリー北海道”、日本初の国際格式ラリーである”日本アルペンラリー”が開催され、ラリーとはただ公道を暴走する危険な競技ではなく、大きな経済効果をもつモータースポーツイベントであるという事実が地元の住民らに広く理解され、国内においてもラリー開催が可能な状況が生まれた。 ラリー北海道は翌年FIAアジアパシフィックラリー選手権の中の1戦に昇格、2003年10月には2004年シリーズからのWRCカレンダー入りがFIA総会で承認され、国内でのWRC開催の悲願がついに果たされた。 2005年からはWRC/PCWRC併催のラリージャパンと、APRC/全日本ラリー選手権併催のラリー北海道の年2戦が、北海道、十勝の地で開催されている。


ラリージャパンへの学生メカニック派遣にあたり、約20名の生徒が募集に応え手を挙げた。 当然全員が参加できるはずも無く、校内で事前選考が実施された。 内容はごく簡単な物で、NATSチームでモータースポーツに参加している車両(トヨタ ヴィッツ SCP10)をジャッキアップし、車体からリアホイールを取り外し、タイヤにエアを規定圧までハンドポンプで充填、ホイールを装着しジャッキダウンするまでのタイムアタックである。


8月22日19時、ついに派遣概要、人選が発表された。 腰に鞭打ち(笑)タイム最優先で作業をした甲斐があったのか、整備科2年生では唯一選ばれることができた。 NATS代表として恥ずかしくないよう、全力で挑もうと決意を新たにした。