ありがとう

課題で書いた小論文。


「ありがとう」というお題で作文を書きなさい等といわれると、以前なら身近な誰かに対する感謝のキモチとか適当に書いてみたものだが、今はそんな文章を捏造できるほど感謝している対象がいない。 以前からそんな対象はいなかったのかもしれないが、とりあえず指示された内容に手っ取り早く対応する能力はあったようだ。
さいころは、「ありがとう」というセリフは誰かに対して深い感謝を伝える為の物だと思っていた。 ちょっと何かしてもらった軽い感謝なんかいちいち相手に伝えるほどの事は無いと思っていたし、たまに社交辞令的な挨拶をさせられても大人はメンドクサイぐらいにしか考えていなかった。 周りからは恥ずかしがっているとか言われたが、実態はそんなに深く感謝していない対象に言葉として発するのが単にメンドクサかっただけ。
今は、軽い感謝を「ありがとう」というセリフでとりあえず相手に伝えることが多い。 以前よりもそのセリフを自ら発する機会は増えているが、その中の何割かは、以前は人に言わされていた社交辞令的な挨拶をとりあえず自分から言っているだけのような気もする。 それは“いちいち声に出すのがメンドクサイ”から“とりあえず声に出しておいた方が後々メンドクサクナイ”とちょっとだけ学習した結果。
改めて考えてみると、誰かに対して深く感謝したことが最近そんなに無いような気がする。 小さいころには自発的な「ありがとう」があったような気がするから、たまには誰かを深く感謝していたのかもしれない。 今は感謝の度合いに関わらずとりあえず「ありがとう」と言ってしまうことが多いが、はたしてその中に本当に深く感謝をしている場合がどれだけ含まれているか。 普段意識することは無いが、成長につれ、ココロはどんどん錆びついている気がする。 漠然と書いてみたら出てきてしまった、自分の中のダークな一面。